枕崎水産加工業協同組合  挨拶・祝辞  社団法人 日本鰹節協会会長 山中 政男

枕崎水産加工業協同組合

Makurazaki marine products processing industries cooperative.

| HOME | 鰹節の歴史 | 祝辞 山中 政男 |

rekishi_bunner.jpg

祝 辞

社団法人 日本鰹節協会 会長

山中 政男

yamanaka.jpg

「鰹節製法300年を記念して」

 枕崎に現在のような形での鰹節製造方法が伝わって今年で300年を迎え、枕崎水産加工業協同組合が主体となって、枕崎市共々いろいろなイベントを実施なさっておられますこと、鰹節業界に身をおく者として、心強く非常に喜ばしいことと存じます。
 さて宝永4年10月4日(1707年10月28日)、東海地震、東南海・南海地震が同時に発生して引き起こされた宝永地震は、マグニチュード8.6という最大級の巨大地震とされ、紀伊半島西岸印南浦も大津波により全戸流失、170余人の死者を出す壊滅的な打撃を受けました。この災害を機会に印南浦を離れた森弥兵衛によってカビ付けまで含めた鰹節新製法が鹿龍(現・枕崎)に伝えられたといいます。ちょうど300年前のことであります。
 宝永の前である元禄期は江戸中期のはじめ江戸文化が華と開いた爛熟期でありました。その元禄15年12月15日(1703年1月30日)は赤穂浪士47人の討ち入りの日であります。巷説として、討ち入り前夜、本所のそば屋で勢揃いし腹ごしらえをしています。

『五十膳 ほどと昼来て 金を置き』
『何ごとで こうお揃いと そば屋いう』
『そば切りが二十 うどんが二十七』(古川柳)

 しからば、このそば屋は何でだしをとったのか。小舟町周辺に集まっていた、問屋「にんべん」などから買った鰹節でだしをとっていたと想像するだけでも楽しくなります。
現在生産されている鰹節は、このように300余年の歴史を持つ日本人の誇ることのできる自然食品であります。これを機会に先人のご苦労に思いを馳せ、これから先も末永く後世に伝えていかなければなりません。
 今年に入り、魚価の急騰により業界は非常に難しい局面にたたされています。
このような時ほど良い製品を造ることに全力を尽し、消費者に良い製品を提供することに努めることが、私ども鰹節業界の責務でなければなりません。
枕崎の鰹節製造に従事されている皆様のご健斗を祈願いたします。