先祖の知恵 「鰹節」
貯蔵性と風味に富む天然の調味料
鰹節は、私たちの遠い先祖が、毎年、黒潮に乗って日本近海に来遊して来るカツオを原料にして、身おろし、煮熱、焙乾、カビつけなどの極めて素朴な、一つ一つの加工操作を、巧みに組み合わせて作り上げた、貯蔵性と風味に富む天然の調味料である。
鰹節の起こりと考えられるカツオの加工品は古代からあった。
素干しから、煮て、天日と火熱で乾かすという煮日干しから煮火乾へ、そして、江戸中期に“燻乾法”が開発され、その後いろいろな変遷を経て今日に至っている。
冷凍や真空パックなどを知らない時代の日本人が、くん煙とカビによる加工技術を考えだしたのは、驚くべきことといえる。
現在の鰹節の製造では、多くの工程で、機械化が行われるようになっているが、それでも、出来上がるまでに、実に120日からの日数をかけて作られている。その丹念な製造工程によって作りだされる独特の味とかおりは、みそ、しょうゆ、こんぶとともに日本料理に重要な役割を果たして来た。また、結婚や上棟式の縁起物としても、古くから日本人に親しまれて来ている。
枕崎の鰹節製造の移り変わりについては、先にもふれたように、東南方村郷土誌(明治42年編集)に、「枕崎の鰹節製造は、宝永年間(1704~11)、毛利英祐氏の祖、森弥兵衛が紀州より来り鰹節製造法を教えられ、追々当地方に広まったとのことである。
思うに、当時は鰹魚は近く沿痕に遊泳して容易に捕うることを得たものであろうが、これが製造貯蔵の法を知らなかったため、只、生食塩蔵にのみ使用せしものであろう。
ところが、上製造法の伝わると共に、その従業者も年々増加し、漁労の方法も追々改良進歩せられ、今より、150~160年前に至りてやや盛大に趣き秋田千代氏の祖秋田権作翁(寛政2年4月没)、故中村彦五郎氏の祖中村蔵右衛門(文政9年5月没)丸谷久米氏の祖丸谷儀左衛門(享和1年9月没)翁等、その重要なる船主であったからして、今に権作船、儀左衛門船等の名称残り居るを見て、その事実の確実なるを知ることができる。」とある。