枕崎水産加工業協同組合 枕崎鰹節の歴史

枕崎水産加工業協同組合

Makurazaki marine products processing industries cooperative.

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枕崎鰹節の歴史

かつお節の歴史

  枕崎の鰹節作りは、保存食糧として、古い時代からあったと思われるが、宝永年間(1704~1710)紀州の森弥兵衛によって、本格的な製造法が伝えられた。

 200年前、明和4年(1767)の記録、「鹿籠名数記」によると、「湊に二浦あり、枕崎浦、白沢浦これなり。
浦水主(漁業者)317人、惣船170余膿、専ら心掛けて鰹を釣り節を調う」と記されているので、この当時より、既に枕崎の鰹節製造が盛んに行われていたことが更に明らかにされる。
やがて、明治時代に入り、鰹漁場の広がりによる鰹漁の増加、それに伴う「島イデ」「沖イデ」の処理法の時代を経て、大正14年に至って、漁業と製造の分離となる。
鰹節製造の専業化によって、その品質は飛躍的に向上し、更に改良に改良が加えられて、全国的に枕崎節の名声を博し、現代の隆盛に至っている。